2017年1月20日金曜日

年の初めに過去を振り返り、未来を展望する

「Ⅰ」 人類の良心を反映したポツダム宣言
 戦前の日本は、1931年から中国への侵略を開始し、満州国という傀儡国家をつくり上げ、1937年には中国本土に対して本格的な侵略を開始して、中国全土を席巻し、さらには東南アジア諸国へと侵略の矛先を広げ、対米戦争に突入し敗戦に至るまでの15年間、戦争に明け暮れた。結果は言うまでもなく、ポツダム宣言をj受諾して無条件降伏した。
 ポツダム宣言は、第2次世界大戦の末期に、ドイツのポツダムにおける連合国主要会議で取り決められた日本の降伏条件を盛り込んだ共同宣言であった。その中で、日本が進めた15年戦争は、「国民を欺瞞してミスリードし、世界征服(world conquest)を目指した侵略戦争であった・・」と認定した。この点は後でも触れるが、ここでは真実を述べたものであることを確認しておきたい。
 宣言の内容を要約して列挙すると、(1)軍隊の完全武装解除と再軍備・戦争勢力の永久禁止
(2)戦争犯罪人の処罰、(3)民主主義の徹底実施、特に思想・信条の自由と基本的人権の尊重、(4)これらの目的が達成され、民主的・平和的で責任ある政府が樹立された場合には、占領軍は直ちに撤収する、(5)1943年のカイロ宣言を遵守し、連合国は日本に対して戦勝の見返りとして領土拡張などの利益を求めない。 
 以上から分かるように、この宣言は、日本にとっては天恵とも言えるような内容で、戦後日本の進むべき方向を示す指針として申し分のないものであった。そのようなものが生み出されたのは、戦勝国の間でも戦争の悲惨さ戦後の荒廃を目のあたりにして非戦の願いと良心が呼び起され、宣言に反映したものと推測できる。
「Ⅱ」アメリカ帝国主義の登場
 戦後世界で唯一超大国にのし上がったアメリカは、その利点を最大限に利用して、世界制覇の野望を達成させるという典型的な帝国主義・侵略戦争に乗りだしたのである。それはポツダム宣言が、前記のように日本の15年戦争を「国民を欺瞞しミスリードして世界征服を目指した侵略戦争」と断定したものと全く同質・同類の侵略戦争であり、いわば「大アメリカ帝国」の構築宣言であった。
 アメリカが戦争準備のために「発明」し、取り入れたのが「集団的自衛権」であった。1947年に国連総会に出された国連憲章の原案は、平和理念を踏まえ、戦争違法化案としてほぼ完璧なものだった。ところがこれに対してアメリカが横槍を入れ、「集団的自衛権」を挿入することによって単独で行う戦争は違法だが、他国と組んで行う戦争ならば合法という巧妙な仕掛けが出来上がった。
 これにより人類が長年にわたり、その実現に心血を注いできた戦争違法化の理想は水泡に帰した。その後アメリカが強行した侵略戦争(ベトナム戦争、アフガン戦争、イラク戦争など)、ソ連のアフガニスタン侵略などは全て「集団的自衛権」の行使という名目で行われた。世界史の中でも特筆される汚点というべきだろう。(これらの戦争は集団的自衛権の行使には「国連加盟国が他から武力攻撃を受けた場合」よいう条件が付けられているが、それを守った例は1件もなく全て先制攻撃から始まった侵略戦争だった)。
 ここで湾岸戦争について付言しておきたい。フセイン・イラクがイラン・イラク戦争を経てアメリカなどから莫大な武器援助・支援を受けながら、兵力100万という中東最大の軍事大国となり、更には中東での覇権を確立しようとして、1990年に経済的に豊かな隣国のクウエートへの侵略を開始した。アメリカは、国連決議による平和的解決の可能性があったにもかかわらず、またフランスなどの和平交渉を拒否し、単独でイラクの侵略戦争を阻止するためと称して性急に武力行使に踏み出した。これが湾岸戦争であった。
 イラクのクウエートへの侵攻は間違いなく侵略戦争であり、これを押しとどめるアメリカの軍事行動は、正義の戦争として世界から非難を受けるどころか支持・歓迎されることはあっても非難されるることはないと読んだと思われる。
 しかしアメリカの真の狙いは全く別のところにあったのである。それは、イラン・イラク戦争の結果、先に述べたように、イラクは兵力100万の軍隊を有する軍事・覇権国家にのし上がっていた。中東に覇権を確立したいという野望を抱いていたアメリカにとってイラクの存在は大きな邪魔者以外の何物でもなく、何とかしてフセイン・イラクを中東から消し去ろうと図った。
 当時フセインがクウエートへの侵略を計画していることをアメリカは事前に察知し、その機会を利用してフセインを亡き者にすべく計略を立てたのである。その一環として、「もしイラクがクウエートに侵攻してもアメリカは手出しはしない」と思わせるように画策した。それにイラクがイランに仕掛けた侵略戦争(イラン・イラク戦争)では8年間にわたりアメリカがイラクを全面的に支援した実績もありフセインは「よもやクウエートに侵略を開始してもアメリカは動かない」と信じて疑わず、アメリカの本当の狙いは見抜くことができなかった。アメリカは、フセインの予想とは逆に即座に武力介入して、フセイン政権を打倒した。併せてフセイン個人の行方を徹底に捜索し、間髪を容れずに殺害した。生かしておけばアメリカにとって都合の悪いことをしゃべられることを恐れたのである。
 これが湾岸戦争の経過概要とその背景であり、アメリカは世界から評価されながら、野望を達成するという願ってもない成果を収めた。このように湾岸戦争は、形の上では正義の戦争を装っていたが、内実はアメリカによる単純な侵略行為をはるかに超える悪質かつ奸智に長けた侵略戦争であった。
 ここで湾岸戦争の真相に触れたのは、日本はアメリカとの深い同盟関係の中で最近のアメリカ占領軍の傲慢・不遜・勝手放題の振る舞いはエスカレートするばかりであり、このような状態が変わらなければ、わが国の国益は侵害される一方のまま持続する・・一刻も早くこの関係から脱却すべきだということを改めて強調したいと考えたたからである。
「Ⅲ」 ポツダム宣言を守らなかったアメリカ
 「ポツダム宣言の受諾」は国際法上の停戦条約が成立したことを意味するものであり、当事者双方が遵守の義務を負っている。しかしアメリカは、冒頭に記したポツダム宣言のすべての項目に違反した。(「戦争犯罪人の処罰」は、実施されたがA級戦犯の岸信介を無罪放免にするなど極めて不十分なものに終わった。その狙いは占領政策を円滑に実施する上で岸氏の働きを利用することだった。事実、彼は60年安保を完成させアメリカの期待通りに活躍した)
 ポツダム宣言違反の中での最重要ポイントは、第4項の「日本に民主的・平和的な政府が樹立された場合は、米占領軍は直ちに撤収する」に違反したことである。その違反は、1951年の講和条約成立後に「日米安保条約」を押し付けることにより実施に移された。その結果、戦後70年以上もの間、事実上の占領軍が居座り、日本の主権が蹂躙された状態が続いている。
 「日本の安全はアメリカに守ってもらっている」と考える人が意外に多いことに関連して、「在日アメリカ軍は、日本の安全を守る責務は与えられていない」ことを示す根拠として以下の事実を紹介したい。
 (1)1968年に米国務省がまとめた秘密文書には「日本の防衛のための在日米軍基地は一つもない」と明記
 (2)1970年1月26日の米上院外交・軍事委員会でジョンソン国務副次官が「我々には日本の防衛に関するいかなる地上・航空戦力も持たない。日本の防衛は、完全に日本の責任である。」と証言している。
 (3)1982年にワインバーガー国防長官は、「在日米軍は日本防衛の任務は与えられていない」と証言している。
 「日本はアメリカに守ってもらっている」というのは日米両政府合作の神話にすぎない。このような神話が持続することは、アメリカにとっては極めて大きな利益であり、好都合この上ない。アメリカにとっては、日本全土に米軍基地を置くという特権を得ながら、日本国民がそれに感謝しているとすれば、これに勝るメリットはないだろう。
 トランプ次期大統領が、「アメリカは日本を守っているのに、その戦費の負担は不十分だ。もっと負担を増やさなければ在日米軍は引き上げる」などと脅迫めいた言辞を弄しているが、「在日米軍が引き上げてくれれば大歓迎だ」と言えば、困るのはアメリカである。アメリカにとって日本に出撃基地を保有し米軍を滞在させているのは、かけがえのない国益だからである。もし仮にアメリカが日本の安全を守る責任を負っているとすれば、事の重大さに鑑みても協約書、条約などが存在していなければならないが、そのようなものは存在していない。日米安全保障条約にうたわれていると指摘する向きもあるが、その誤りを指摘したい。日米安保条約の第4条には、「・・日本国の安全‥に対する脅威が生じたときは・・いずれか一方の締約国の要請により協議する」と規定されているが、「協議」するだけは「保障」とはなりえない。また第5条では、いずれか一方に対する武力攻撃・・が自国の安全を危うくするものであることを認め、「各締約は・・自国の憲法上の規定及び手続に従って共通の危険に対処するように行動することを宣言する。」と規定されているが、武力を伴う行動は日本の憲法9条に違反するので採用できない。従って安保条約第5条は、事実上空文化しているのである。
「Ⅳ」今後の課題
 (1)すでに述べたように、戦後の日米関係が常軌を逸しているのはアメリカがポツダム宣言を無視して、1951年に日本に安保条約を押し付けたことに根本の原因がある。当時、日本はまだ事実上軍事占領下にあり、拒否できる立場になかった。そのことだけでも日米安保条約は無効なのである。
 (2)私たちは、ポツダム宣言受諾という戦争終結の原点に戻り、改めて日米安保条約の破棄を提起しよう。それは同宣言を受諾したわが国の当然の権利でもある。その権利を正当に行使することに反対したり拒否したりする権利は存在しない。破棄することによって日本は戦後初めての真の独立と国家主権を回復するとともに、憲法9条を体現した平和国家に生まれ変わる。平穏で公害・騒音のない環境も取り戻すことができる。その手続きとしては、条約10条の規定に従って破棄する旨の通告を発すれば、それだけで破棄は有効に成立する。原則論で言えば、「協議したり、交渉する必要もない」のである。1年後にアメリカ軍は全て撤収し、在日米軍基地問題は、沖縄基地問題も含め一挙に全面解決する。
 (3)そうなればアメリカは、これまでのように在日米軍基地を利用して海外に出動し戦争を行うことは不可能になる。それ自体世界の平和を拡大する上で計り知れない貢献となる。
 最後に一言付言すれば、トランプ政権登場は要注意である。不当な要求を突きつけてくる危険が大きい上に、安倍政権が唯々諾々と受け入れる危険も大きいからである。
 トランプ、安倍の両氏は共にウルトラ右翼という点で相互に気脈を通ずる立場にある。安倍総理はトランプ氏が大統領選で勝利した直後に彼のところに駆け付けたのは、彼がトランプ氏の登場に祝意と共感の意を伝えるとともに相互の考え方の共通点を確認し、日米軍事同盟の強化について合意することを伝えるためだったと推測され、安倍総理の卑屈な姿勢が読み取れる。
 今年こそ、国民の総意を盛り上げ、日米安保条約の廃棄を勝ち取る年にしたいものと強く願っている。

                2017年1月1日         蓮井 治


0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。