2017年10月25日水曜日

        福島地裁いわき支部「福島原発避難者訴訟」を傍聴して(10月11日)
    
    ふるさとを返せ 人間の尊厳を取り戻す闘い
                   
                     大石 京子(元全損保三井住友支部)
                     内藤 正則



10月11日、福島地裁いわき支部で行われた「福島原発避難者訴訟第26回裁判結審」を傍聴する予定で、5人で福島へ向かいました。

 午前中は決起集会で原告代表挨拶では「ふるさと喪失」の概念は裁判史上初で認めさせていきたい」と発言がありました。又、「全国公害被害者総行動」からの挨拶では「水俣、大気汚染、アスベスト、薬害・・等の戦いをしているが、最大の公害は原発事故である。国策で引き起こされたのに小さく見せ切り捨てる。そして分断する。国民をだますその手口は変わらない。(私は水俣病でまだ闘っている人がいるんだということを知らなかったので驚きました)

 集会後は午後の結審に向けて裁判所までデモ行進しました。しかし一般傍聴券は傍聴希望者にたいし僅か15枚で競争率は10倍以上。(幸運にも私は抽選に当選。内藤氏に譲りました)。傍聴出来ない方々は、弁護団からの報告集会に参加し今までの説明を受けました。「訴訟初期には、原告全世帯の審問を工夫して行い、裁判官に何度も要求し3回に分けて現場検証が行われた事が流れを変えていった。
 前橋地裁、千葉地裁、そして昨日判決の出た福島地裁と判決が続いた。補償額については納得できないが、徐々に国と東電の責任を認め補償地域や額を僅かながら広げている。福島県知事や各政党にも申し入れを行い一歩一歩踏み出してきた。この闘いは人間の尊厳を取り戻し国策を変えさせる壮大な闘いでありであり、世論を味方に頑張っていこう」と語られました。若い弁護士さん達は裁判を有利にするため資料集めに奔走し、ベテランの弁護士さん達の奮闘などを聞いて感動しました。
 
 翌日、楢葉町・宝鏡寺早川住職を訪ねました。最初に「ここまで来てくれて話を聞いてくれるのは嬉しいが、何から話せば良いですか」と言われた。「避難解除になり戻ってきたのは車の運転できる年寄りだけ。そのうちにふるさとは喪失する。もう元には戻らない。今後の課題は溶け落ちた燃料を取り出せるのか?取り出せても何処に?先々どうするのか?とてつもない困難が残されている。国は最終処分場の説明会について福島県を除いた各地で行うのはアリバイ作り。人が戻ってこない、いずれ人が住まなくなる被災地が最終処分場になるしか解決しないことを政府・東電は判っているのだ。
 国と東電は儲けることだけを目的に危険な原発をやってきた。(原発設置基準は「近くに大都市が無い。原発所在地の人工は少ない」であり危険な事業だったのだ)
 儲からない最終処分場の管理を何万年もの管理が出来るのか?」・・と語る住職の話は重く、私は「こんな状態で福島の問題は終わったとして、再稼働なんて許せないと思いました。

 次に、希望の牧場へ行き、牧場主の吉沢氏の話を聞きました。希望の牧場は原発事故で放置された牛を預かり飼育しています。牛はパイナップルの皮を食べていました。牧場の至る所に汚染度の入ったフレコンパックが積み上げられていました。牧場には未だ300頭の牛がいる。山や林の除染は手つかずの状況。周りだけは除染?してもすぐまた汚染される。お金をかけて除染するのは国のアリバイ作りで無意味。避難解除になったが帰還した人は僅か1%。行政町役場は「町残し}に力を入れ予算をつぎ込んでいるが、そのうちふるさとは消滅する。牧場の敷地内に立っている送電鉄塔は電気を関東へ送っている。福島の犠牲の上に東京の豊かな暮らしは成り立っている。これからどうなるのか?どうしたら良いのか?世界中の英知を集めて原発の問題を解決しなければならないと思いました。


 車で走っていると除染作業で集めた黒のフレコンパックあちこちに積み上げられていました。それを白い壁を作って見えなくしているところもちらほら。草が生えているフレコンパックも。フレコンパックの無いところにはソーラーパネルが次々に作られていました。皆さん是非福島の被災地を見てください。

                     (大石 京子)

                                             




 私(内藤 正則)は4人の仲間と、10月11に結審(判決は来年3月22日)になる 「福島原発避難者訴訟」の福島地裁いわき支部での傍聴、翌日には楢葉・宝鏡寺の早川住職(いわき市住民訴訟原告団長)と浪江で放射能を浴び売れない牛を飼っている「希望の牧場」の吉沢氏に面談、現地の状況を伺った。

 裁判では、被災者が嗚咽をこらえ声を震わせながら7年になる避難生活の苦しさを陳述している姿に傍聴者はもらい泣きをした。
(原告・金井 直子さんの陳述の抜粋より~1年目は無我夢中で、本当に着の身着のまま逃げた1年目、そして2年目は不安と葛藤、3年目は先が見えなくて、4年目になったらもういい加減にして欲しい位に限界を超える、その心境の中でも生きて行かなければならなくて、5年目から今日に至っては絶望の中でもやっぱり生きて行かなければならないから何とか歯を食いしばっている)避難者でないと判らない苦しさが判り、同時にこの人たちを無視する現在の自公政権に怒りが増しました。
 
 翌日の楢葉、浪江の二人の話で共通していたのは「現地はいずれ無人になり使用済み燃料の捨て場所になる。現在は被災者支援の闘いだが、今後の大きな課題は、解体できない原発、解体出来ても燃え続ける燃料や、増え続ける使用済み核燃料と、満タンになっている汚染水の安全な管理をほぼ永久に行うことだ。原発はトイレの無いマンションです」
膨大な経費(税金)が今後もかかる。今は6~7000人が従事して必死に作業を続けている。(吉沢氏は、今、汚染水は海に垂れ流しの状況になっているでしょう。先日の台風では大量の汚染水が海に大量に流れたと言っていました)
                                   (内藤 正則)