2017年8月20日日曜日

新安保法制法の違憲判決を強く求めます
~損保人として、市民として、親として「陳述書」を提出
                  
                           栗原 伸夫

 集団的自衛権の行使等を容認する2015年9月19日強行採決の新安保法制法は違憲であり、その制定に係る内閣及び国会の行為も違憲である。平和的生存権、人格権及び憲法改正・決定権を侵害された原告らの精神的苦痛は甚大である。よって、原告らは、被告国に対して、国家賠償法1条1項に基づく国家賠償請求として、それぞれ金10万円の損害金の支払いを求める。
 私は「安保法制違憲訴訟埼玉の会」の原告438名のひとりとして、2016年6月20日のさいたま地裁提訴に参加しました。口頭弁論も第6回(9月27日)第7回(12月13日)と進み、私もこのたび裁判所宛ての陳述書を弁護団に提出いたしました。
安保法制違憲訴訟は現在、全国で20の裁判所で、原告6,296名、弁護団1,614名により審理が進められています。平和主義、基本的人権の尊重、国民主権を定める現憲法のもとで、三権分立の一翼を担う司法・裁判所が、内閣、国会の暴走を止める良識ある判断をされるよう強く求めるものでありす。

       【陳述書】
1 生い立ちと略歴
 私は、1939(昭和14)年5月10日に川越市で生まれました。地元の県立高校を卒業し、東京都内の大学の法学部に進学しました。1962(昭和37)年3月に大学を卒業し、損害保険会社に就職し、2002(平成13)年までの38年間、勤務しました。
損害保険会社での仕事は、主として、事故が発生した際の損害額の調査・確認と保険金の支払いを行う「損害調査部門」を担当してきました。若い時は転勤も多く、後半の20年ほどは川越市から通勤しました。
全日本損害保険労働組合にも加入し、専従も経験しました。
 定年退職後は、平和や損害保険の民主的な発展を願う任意団体の「世話人」や「損保9条の会」など  どの活動をしています。
なお、現在夫婦二人暮らしですが、長女、次女と小学校3年生の男子の孫がおります。

2 保険会社での働き甲斐、生きがい
 私は、38年間の会社生活の中で「補償機能の発揮、真の被害者救済を通して市民の安全と安心
っていく」という損害保険産業の持つ社会的な役割に誇りを持ち、社会貢献の喜びを生きがいとしまいりました。
たとえば、2011年3月11日の東日本大震災における補償の仕事です。この災害では多くの牲者とともに家屋や家財にも甚大な損害が発生しました。地震保険の損害調査では保険会社の社員が場に赴き、お客さまから直にお話を聞きながら保険金支払いの手続きを行いました。地震保険の保金では生活再建の一助にしかなりませんが、社員は契約者からの感謝の言葉に涙し、わたしたち、ひとりひとりが損害保険の持つ社会的責任と役割を、あらためて実感したのです。
また、損害保険の大半を占める自動車保険では、車両修理費の早期支払い、第3者に損害を与えた場合には被害者との話し合いの進め方をいち早く契約者に伝えて安心を、被害者には損害の回復と傷害のある場合には、一日でも早い社会復帰のためのサポートを行うことが、損害調査を担当する社員の最大の責務ですが、私は前述のように、この仕事で会社生活の大半を送ってまいりました。そして、お客様からの「ありがとう」のひと言で、幸せを感じ、明日への意欲を醸成してきたのです。

3 損害保険の本質は「平和産業」
日本損害保険協会は、その行動規範で「市民の安全・安心な生活と安定した事業活動のお手伝が、損害保険の社会的な使命である」と定めています。損害保険は「大数の法則」に基づいて多くの契約者からの保険料により、万が一の過失や災害によって生じた損害を補償するもので、「一人は万人のたに、万人は一人のために」という相互扶助の精神こそが原点です。私たちの誇りや生きがいは、そうした保険の本質を具現化するなかで生まれるものです。
そして、保険の本質は、平和が大前提です。すべての損害保険の普通保険約款には「戦争、外国の武力行使、革命、政権奪取、内乱、武装反乱、その他これらに類似の事変または暴動」により生じた損害は免責(注・保険金支払いの対象とならない)と規定されています。つまり、「戦争状態」のもとでは保険金は支払われませんし、ましてや新らたに保険に加入する人もいないでしょうから「商売」そのものが成り立ちません。損害保険産業は、本来「平和産業」なのです。

4 「PKO保険」と社員の精神的な苦痛
新安保法制(戦争法)成立以前にも、すでに、その序曲は奏でられていました。
その一つに国策による「PKO」保険(国連平和維持活動傷害保険―自衛隊等の固有危険補償特約付海外旅行傷害保険)の発売があります。
2004年1月、イラク復興特別措置法に基づく自衛隊のイラク派遣の際、損害保険業界は防衛庁共済組合を契約者、自衛隊員を被保険者とする「PKO」保険を発売しました。通常では補償されい「紛争、武力行使、政権奪取、内乱、そのた類似の事変に伴う死亡・後遺症障害を補償する傷害保険」です。
一般人ではとても引受けのできない「戦闘地域」に適用、保険料も通常の3分の1と驚くほどの格安(死亡保険金1億円の場合、月額保険料15610円)に設計されたものです。自衛隊員の死亡に対する弔慰金、国家公務員災害補償などの公的補償に加えて民間の保険も手厚くすることで後顧の憂いなく任務に従事できるよう、隊員及びその家族の「戦争リスクへの不安」を糊塗しようとする政府の思惑と追従する損害保険業界の姿勢が見て取れます。保険会社が国策に取り込まれている姿です。
新安全法制によってPKO部隊に、海外での殺し、殺されるという武力行使を容認した憲法違反の任務「駆けつけ警護」と「共同防護」が付与されたことにより、隊員が人身傷害に遭遇する危険が格段に高まりました。同時にその業務に関わるわたしたち損保社員の苦悩と苦痛もまた、一層重く、大きくなりました。 たとえば、南スーダン派遣自衛隊員への「PKO」保険の募集は、営業社員が代理店(自衛隊の別働体)に同行するなどして、隊員、家族向け説明会の中で行いますが、戦闘 地域に派遣される第11次隊員に「万が一のための保険」などと言えるのか、不安な眼差しで見つめる家族に、さらなる心配を増幅することにならないか、営業社員の「苦悩・苦痛」の深さはとても耐えられものではありません。
また、「PKO」保険金の支払いを行う際には、防衛省や現地と連絡を取りながら事故の状況などを詳しく調査しますが、事故原因の理不尽さを知れば知るほど、損害調査を担当する社員にとっては悲しみをこらえながらの仕事となるのです。
保険会社は、いま、まさに「戦争できる国」の片棒を担ぐ機関となろうとしており、そこで働く社員の精神的苦痛は、一層耐え難いものになってきています。

5 アジア太平洋戦争における痛切な反省
私は、ここで、かつての大戦における保険会社の痛切な歴史的反省に触れておきたいと思います。所謂「戦争保険」です。
アジア・太平洋戦争時の昭和17年1月には、戦闘行為による建物の火災・損壊を担保する「戦保険臨時措置法」に基づく任意保険の「空襲保険」が発売され、昭和19年4月には「戦時特殊損保険法」により普通火災保険に強制付帯とされることになりました。
戦局が転換し始めた昭和183月には、「戦争死亡傷害保険法」に基づき、日本国内外での戦闘為に伴う死亡・後遺症障害を担保する「戦争死亡傷害保険」を発売しました。それは「前線の戦闘激烈を極め、国内また敵の攻撃下に置かれようとも、十分にこれに対処できる態勢を整備し、戦時の国民生活に何らの不安もなく各々がその職域において、完全にその任務を遂行することが、この古の大戦争を勝ち抜くには極めて大切なこと」であり「総力戦の一環としての確乎不動の態勢を確するため」(内閣情報局)の保険販売でした。収入保険料が3,946万円に対して支払い保険金は19,167万円、保険料を超える部分はすべて国(税金)からの支出でした。
これらの歴史は、保険と戦争は全く相容れないものであることを示しています。「戦争保険」や「PKO」保険は、損害保険の原則が、偶然性を前提に、万が一の過失や災害に起因する損害を補償するものに対して、必然性を持った戦争や武力行使に起因する損害を補償するものであること、保険料も「大数の法則」から大きく逸脱し極めて安く設定されていることから、保険理論上も全く合理性を欠いた商品設計となっていることなど自明の理です。そして、そのことを十分わかっていながら業務として遂行しなければならない保険会社の社員、わたしたちの心情は、耐えがたい苦痛に見舞われます。社員は戦争に協力しているという罪悪感やトラウマからも逃れられないのです。

6 すべての元凶は新安保法制(戦争法)
 このような事態につながる新安保法制(戦争法)に、私は戦慄とともに強い憤りを覚えます。私の精神的苦痛は極限に達しています。戦争保険やPKO保険は、「戦争死亡傷害保険法」やPKO協力 法などを根拠に、いずれも政府の強い関与のもとで発売されてきました。
したがって、わたしたちの精神的苦痛の元凶である、現在の「PKO」保険を廃止若しくは販売を中止するには、「海外での戦争や武力行使など憲法違反の事故に起因する損害を補償する保険の販売はできない」として、政府の要求を拒否することが求められます。それは国民の利益とも一致し、大多数の国民の共感も得られるはずですが、そのためにも、司法の場で、改正国際平和協力法をはじめとする新安保法制法は、その内容は憲法第9条に違反し、立法手続きにおいても適格性を欠くものであり、憲法違反である、となんとしても判示していただきたいのです。

7  平和的生存権、人格権、憲法制定権侵害に対する、私の決意
会社で働く社員の働き甲斐や生き甲斐、喜び、幸せ、誇りをズタズタにするばかりか、耐え難い苦悩や苦痛、戦争に協力をしているという罪悪感を引き起こす新安保法制は、憲法第13条の働く者の個人としての尊厳や幸福追求権を明らかに侵害するものでり、とても容認することはできません。
私は、退職後も損害保険産業の健全な発展を願う損保人のひとりとして、PKO保険ならびに新安保法制法の廃止のために、残りの人生をかける決意であります。
新安保法制は、市民や多くの憲法学者たちの反対の意思を無視し、閣議決定だけで従来の政府解釈を一変させ「集団的自衛権の行使容認」を強行採決するという、政府の歴史的暴挙によって成立したものです。内容、制定過程いずれも、私にとって耐えがたき憤りと無念、そして悲しみを覚えるものでした。いまもその気持ちは癒えるものではありません。
海外での武力行使を容認したことにより、「日本は戦争をする国」と海外から評価され「テロ」の危険も高まりました。2020年東京オリンピックの競技会場となる「霞ケ関カンツリー倶楽部」「さいたまスーパーアリーナ」、「埼玉スタジアム2002」、「陸上自衛隊朝霞訓練場」等の近くに住む住民としては気が気ではなく強烈な不安を感じています。
私はこれまでの70年間、「われらは、各世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と謳う前文をはじめ、憲法の平和主義、基本的人権の尊重、国民主権を誇りとして生きてきました。これらの誇りや生きがいを一瞬にして破壊した新安保法制をとても容認することはできません。私は、市民のひとりとして、また「平和」を子どもや孫に継承しなければならない親のひとりとして、新安保法制法の廃止のために、残りの人生をかける決意でります。

2017年8月15日
     栗原 伸夫