2019年10月5日土曜日

    日本の真の独立のために
                    
                       蓮井  治

(1)ポツダム宣言の原点に立ち帰えろう

言うまでもなく、我が国の戦後の出発点は、我が国の15年間にわたる侵略戦争が完全に破綻し、ポツダム宣言を受諾した1945年7月26日であった。ポツダム宣言の受諾によって「ポツダム宣言」という国際条約が成立したことを意味していると考えられる。
同宣言では、「日本の無責任な軍国主義勢力が世界から完全かつ永久に駆逐されることが世界の平和と安全にとって不可欠である」と指摘し、その確証が得られるまでは日本の占領を継続するとの意思を表明しているが、同時に、「日本国民の自由意思に従って平和的で責任ある政府が樹立された場合には、アメリカ占領軍は、直ちに日本から撤収すること」も確約している。
ここで大事なこととして付言しておきたいのは、ポツダム宣言では「カイロ宣言」の条項は履行することを明確に再確認していることである。では「カイロ宣言」とはどのようなものであったかを確認しておきたい。カイロ宣言は,1943年に連合国のアメリカ、イギリス、中国の首脳がカイロに集まって第2次世界戦争の目的と戦後処理の原則などを取り決めたものであった。同宣言の内容を簡略に整理すると以下の通りである。
 「イ」今次対日戦争の目的は、「日本の戦略戦争を抑止し、かつ罰するためであり・・日本が暴力及び貪欲により略取した一切の地域から駆逐さるべし」とうたい、「みずからは領土拡張、その他の何の利得も求めない」
 「ロ」ヤルタ会談に基づき、スターリンの要求に従って千島列島をソ連に引き渡す。
因みに、このスターリンの要求自体がカイロ宣言の基本に真っ向から違反すること、そしてそのことが北方領土が未解決ままになっている根本の原因となっているのである。

(2)「日本の軍国主義」が駆逐・一掃されても居座る米軍の対日占領

戦後の我が国は、新しい憲法が制定され、第9条によって「戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認」が確定され文字通り軍隊は完全に廃止された。
先にふれたように、このような条件のもとでは、アメリカの占領軍は直ちに撤退すべきである。ところがアメリカが日本から撤退する気配は無く、自民党・日本政府は唯の一度もアメリカ軍の撤退を求めたことはない。このままではアメリカの日本占領は未来永劫に続くと懸念される。

(3)アメリカの指示で作られた日本の軍隊

1950年に朝鮮戦争が起こると、マッカーサー指令によって「警察予備隊」が作られ、1950年の「安保条約」や1954年の「日米相互防衛協定」などによって強化され、1952年に保安隊、1954年には陸・海・空の自衛隊三軍に改組され、その後も人員や装備の強化・増強が進められ、今日では世界でも有数の軍隊組織にのし上がっている。
それにしてもアメリカが日本の再軍備に力を入れたその目的と狙いをここで明確にしておこう。それは単に日本が「世界の中の一国として正当に認められるために軍隊を持つことが不可欠」などという一般論に従ったものではない。アメリカの狙いは、再軍備された日本の軍隊をアメリカの戦略の中に組み込んで利用するために他ならない。
改めて言うまでもなく、憲法第9条では「戦争の永久放棄」をうたい、「陸・海・空軍その他の戦力の保持も認めない」と規定している。因みに在日米軍の存在も憲法9条が禁止している「その他の戦力」に当たるものであることは明らかである。
驚くべきことに、アメリカは、1948年に「日本国憲法第9条」と「ポツダム宣言」を無視すると決めている。身勝手・横暴極まれりである。そもそも戦後のアメリカの世界戦略の中心は、圧倒的な軍事力によって世界制覇を目指すものだが、そのために日本全土に米軍基地を構築することが戦略上も不可欠と判断した。しかも基地を自国に置くよりも日本に置いた方がはるかに安上がりでもあるからだ。安上がりどころか日本政府からは”思いやり予算”など超優遇されている。アメリカの世界戦略の立場と地勢的条件でも日本に基地を持つことが不可欠との判断がある。

(4)画期的な「伊達判決」

ここでアメリカにとって在日基地の存在が世界戦略を進める上で如何に不可欠の特権かを物語る一つの事件を想起しておきたい。
1955年に米軍の要請で立川基地の拡張が企てられたことが事件の始まりだった。それは米軍がジェット機を採用するために滑走路を拡張する必要があり、砂川町の中心部の農地を接収する計画が進められた。政府は、農地の接収を「土地収用米軍特別措置法」の発動で行おうとし、砂川町長に対して収用手続きに入るよう命じた。これに対して宮崎町長は反対を表明すると同時に、町議会でも全員一致で基地拡張に反対するという決議を挙げた。これをめぐり、農民、一般市民、支援する労働組合や学生たちが加わり、強制収用を阻止する大闘争に発展する。
その過程で基地内の測量を阻止しようとした地元民や学生が数メートル基地内に入ったことを捉え、政府が安保条約に基づく刑事特別措置法を盾に23名の労働者、学生を逮捕し、うち7名を起訴したのが砂川事件だった。裁判の中で伊達判決が出された。そのポイントは、「安保条約に基づく米軍は憲法によって保有が禁止されている憲法違反の存在である」として、全員無罪という画期的な判決を下した。胸のすくような明快な論旨とその結論である。
この「安保は憲法9条違反」という判決は、アメリカ政府に甚大な衝撃を与え、常軌を逸した対応にでた。先ずは判決の出た直後にマッカーサー駐日大使が藤山外務大臣に面会し、二審を飛び越えて最高裁に跳躍上告を求める一方、田中耕太郎最高裁長官と極秘に会談し、長官に圧力を加え、善処(?)を要求したのである。田中長官は、アメリカの要求に応えて伊達判決を却下する判決を下した。
念のためこの事件が教えることを一つ付け加えておきたい。それは「在日米軍によって日本を守ってもらっている」というのは「神話」に過ぎないということ、マッカーサー大使の行動は「米軍が日本に駐留していること」自体がアメリカにとっては、かけがいのない利権であることを問わず語りに示している。そもそも他国の安全を守るなどという重大な責任を引き受ける国などありえないことであり、それを裏付ける契約など存在しないことは言うまでもない。

(5)国民の命と福祉を削って加速する「安倍軍拡」

国民には消費税増税の押し付けを狙う一方で、米トランプ政権いいなりに米国製高額兵器の爆買いが止まらない。安倍内閣が閣議決定した新「防衛大綱」では米国製ステレス戦闘機F35を新たに105機を買い増し、過去に購入を決めた42機と合わせて、合計147機とする。そもそも我々国民にとっては、F35と言う戦闘機をどのような目的に使うのかさえも理解できない。この他ミサイル迎撃システム{イージス・アショア」2機、早期警戒機9機など、併せて1兆円を超える高額兵器の「爆買い」(支払いは前払い)を決めている。平和憲法を持つ日本が国民の暮らしや福祉を削り、増税と暮らしを破壊する軍拡は決して許すことはできない。

(6)アメリカ軍の日本撤退を要求しよう

冒頭で述べたように、戦争が終わった1945年、日本はポツダム宣言を受諾し無条件降伏した。そのポツダム宣言には、「日本国民の自由に表明した意思に従い平和的で責任ある政府が樹立された場合には、米占領軍は直ちに日本から撤収すること」が確約されている。私はこれを「ポツダム・ルネッサンス」として提唱したい、そして在日米軍の即時撤退を要求すべきと考える。

                 2019年9月25日          
                              蓮井 治





2019年5月21日火曜日

  過労死ゼロ社会をめざして
         職場革新懇としての課題
                      
                        戸塚 祐子

この間の職場革新懇の共同の取り組みと今後の課題について発言します。

あいおい損保・西武鉄道・全日空・東京地下鉄の4職場革新懇の共同行動のスタートは、2014年東京都知事選挙(宇都宮健児候補)の大塚駅前支援行動からでした。その後戦争法廃止2000万署名行動とその後の交流会の中で、4職場には共通の課題があることが確認され、2016年11月23日に「平和と安全・安心の経営こそ企業を発展させ、労働者の命と生活も守られる」をテーマに五十嵐代表世話人にコーディネーターをお願いしてシンポジウムを開催しました。その後も3000万人署名を共同で取り組み、交流する中で集い第2弾を開くことになりました。

2月15日(金)あいおい損保・西武鉄道・全日空の職場革新懇は、「命と平和が宝ーみんなで考える」集いを共催しました。内容は、東京過労死を考える家族の会 代表 渡辺しのぶさんのお話と、楽団ひとり(花岡蔚さん)の「人権を大事にするコスタリカー昭和歌謡にのせて」と題する演奏と語りでした。
渡辺しのぶさんは18年前、大手電機メーカーの技術職で裁量労働制で働いていた夫(40歳)を突然死で亡くされました。11歳と3歳のお嬢さんを抱えながら、過労死と認めない会社を相手に労災認定を勝ち取られましたが、労災と認められても大切な人を助けられなかった悲しみ、罪悪感、無力感、そして父親の過労死を受け入れられない子供の不登校、家庭内暴力など多くの困難があったそうです。今はそれらを乗り越えて、東京過労死を考える家族の会の代表として過労死のない社会を!と訴えて活動されています。

集いには60余名の方が参加され、過労死されたご遺族の悲しみ・苦しみを具体的に聞く事で胸に迫るものがあったとの感想が多く寄せられました。今回の集いについて、参加者の中で過労死への理解を深めるという初期の目的は達成できました。問題はこれからです。ここをスタートに、過労死のない社会をつくるために職場革新懇としてどうするのか、壮大なテーマが立ち上がってきます。

私の働いていた会社の現況としては、1万3000人余の従業員がいますが、入れ替わり常時3ケタの心身疾患による長期欠勤者がいるそうです。100人の労働者がいれば、職場環境・仕事の内容・個人の心身状態等100通りの違った条件があるはずで、しかも外観からは判断できませんが過労死の一歩手前だった人もいるはずです。
今回の集いに先立ち、会社の本社前で出勤時のビラ入れを行いました。私たち革新懇の集いなどに参加してくれる現役は、残念ながらそれほど多くはありませんが、職場状況等の実態を知れば、そこに働いている人たちの大変さを想像することはできます。

損害保険産業には万が一の損害を補償するという社会的役割があります。かってはそこに誇りと働き甲斐を感じている人が沢山いましたが、いまは考える余裕がないのではと危惧されます。所属する企業と産業の民主化を求める職場革新懇として、職場で懸命に働いている人たちに心を寄せ、過労死の問題にもどう取り組むか考えていきたいと思います。

総会議案の Ⅲ 安倍政権の打倒と各分野の課題 の(6)くらし・医療・介護・教育の中の【すべての労働者に人間としての尊厳ある働き方、くらしを】の項目の「8時間働いて普通に暮らせる賃金・働くルールの確立」の要求が私たちの課題とリンクしてくると思います。

あいおい損保革新懇では5月5日の世話人会に渡辺さん親子をお招きして懇談・懇親会をもちました。また本日、西武鉄道革新懇でも渡辺さんを囲んで懇談会を開いているそうです。3職場革新懇で何が共同できるか、また個々の職場革新懇ではどうするのか、7月の参院選の取り組みとも合わせ議論を深めていきたいと思っています。

なお、あいおい損保革新懇ではホームページを開設していますので、お時間のある時にのぞいてみてください。

          (2019年5月18日 全国革新懇・第39回総会での発言要旨から)





2019年4月30日火曜日


 
  「世界に恥じない」平和といのちを守る日本を
     ~「生かされたいのち」を生きる~

                      跡部 浩一

 急性骨髄性白血病から生還でき「生かされたいのち」を大事に「白血病の患者さんを励ます活動」構想に着手して以降、手探りの試行錯誤を重ねてきました。
 7ケ月にわたる隔離病棟から解放され、生きられる機会を得たことに多くの方から励まされつつも、生き残ったことを嫉むかの如きこころない囁きや、2011年3月の東日本大震災と福島原発事故の被害の甚大さに足が竦み、「一体、自分は何をしているのか」と自問自答する時間に正直、悩みました.悶々としながらも「先に無念のうちに旅立たれた方々に恥じない生き方をする」と覚悟を決めて、14年目の桜を楽しむ春を迎えられ、嬉しい限りです。
 
 現在、NPO活動を軸に「白血病」だけでなく「血液疾患」に幅を拡げ公益財団法人日本骨髄バンクはもとより、それぞれの長所を活かし、補完し合う他のNPO6団体との相互連携関係を築き、徐々に活動の領域が拡がりました。おかげで上場企業5社プラス3社のご支援も頂いてきています。
そのご縁で、30代前後のAYA世代の血液疾患サバイバーの方々と元気な活動を共に出来、「捨てたもんじゃない若者たち」に励まされています。「小さな点」が「少しの面」に拡がったかなぁです。
私の活動は、① 音楽を通じて ② がん体験を語る ③ 医療機関と体験者の合同セミナー ④ 大学生対象の講演・広報 の4活動を柱に、白血病をはじめ「血液疾患患者とそのご家族を励ます」活動に組み立てています。
今年も、①患者さん他を励ます(ミニ)コンサート3回、②体験を語る③医療機関との合同セミナーは、11月末長崎までの計5回。④母校明治大学をはじめ、首都圏の大学を対象に5回の講演・広報活動が計画され、6回目を迎えた「年男」もまだまだ何かとお役立ちできるかもの機会を頂いています。

 ところで、私の「いのちを生きる」活動への転換点は、2005年の白血病体験にあります。同時にその闘病時、共にした歌手本田美奈子さん(享年38歳)と「退院後」の活動を語り合った「二人のトークショー」構想であり、彼女が命名した「LIVEforLIFE」(生きるために生きる)にあります。
この72年間の人生もそうでありましたが、人との出会いは不思議な縁で、その時々の出会いとそのご縁に生かされながら「我が道」と思って歩んで来たのかも知れません。自分が選んだようで、他の方に生かされて来たのかも知れませんね。今更ながらにそう実感しています。
 と同時に、私のもともとの原点は、1945年3月10日の東京大空襲にあります。
  私の父は、当時、江東深川で大空襲の直撃を受け、いのちからがら生き延び、手を携えて逃げた新妻は、火焔の中に消し去られたという。戦後に生を受けた私の初めて知った、我が家の戦争体験の一つがあります。
 「戦争」という名の下で実行された「無辜の民への無差別大量虐殺行為」と当時の政権・軍部、更には未だに世界での軍事行動を正当化する米国とそれに盲従する自民党政権への憤りこそ、いまだに私の「いのちを生きる」原点でもあります。
 後妻の手前、両国の慰霊堂参拝を控えた父の思いを忖度、いまも毎年3月10日に慰霊に訪れ「戦争に大義などない」「戦争しない・させない」いのちの誓いを新たにしています。

 奇しくも2月に、日本期待のスイマー池江璃花子さん18歳が、悲嘆の中で白血病罹患を公表し、私も体験した過酷な治療に現在、向き合っています。彼女の健気なメッセージが、社会的な支援活動の輪を広げています。
過去の体験者が、新たな体験者を重ね、それぞれが語り続け、白血病・血液疾患との闘いを繋ぎ、医療が一段と進化し、国民の中に、血液疾患撲滅の声が高まり、人が人として当たり前に生きることができる「世界に恥じない平和といのちを守る日本」とするために「ぼぉーと老けてんじゃないよ!」と戒めながら活動したいと思っています。
                                                                                                           
 元千代田火災海上出身
   (認定)非営利活動法人リブ・ォー・ライフ美奈子基金
                                                                             理事兼事務局長 跡部 浩一

2018年3月3日土曜日

          日米安全保障条約は諸悪の根源
                           
                      蓮井 治

(1)安保条約は「条約」ではない 

安保条約には「条約」という名称が入っていますが、本当の意味の条約ではありません。 「条約」というのは、言うまでもなく、その当時国が主権者である国民の意思を踏まえて、議論 を尽くし、その結果にもとずく合意によって成立するものです。 ところが、安保条約はそのような手続きや経過は全て無視されて、アメリカから一方的に押し付 けられたものですから、「条約」としての不可欠の要件を満たしていないので「条約」とは言え ません。
1951年8月に日本からは吉田茂全権がサンフランシスコを訪れて講和条約の調印に当たりま した。これは戦争状態に休止符を打つための不可欠の手続きです。従ってこの調印式には我が国 のほか連合国の代表49カ国が参加して調印され、「平和」が回復されました。
調印はサンフランシスコの中心街にあるオペラ座で行われましたが、ここでの調印が終わると、 そこからかなり離れた場所にある陸軍の施設に吉田茂全権団だけが連れ込まれ、そこで安保条約 の調印を迫られたのです。日本の全権団には「イエス・ノー」を言える自由はありませんでした。
 以上のような経過からすれば、私たちは安保条約を守らなければならない言われも義務も必要も ありません。因みに当時、吉田首相は、安保条約という「不平等条約」の調印を強制されること に反対して、全権を務めることを固辞して逃げ回っていたのですが、昭和天皇からきつい「お叱り を受けて、やむなく全権を引き受けることになったのでした。

(2)安保条約の目的と狙い 

ここで「安保条約」として述べているものは、現行のものとは異なる、いわば第1次「安保条約 (旧安保)を指していますが、現行の「安保条約」は、1960年に岸信介政権(岸信介はA 級戦犯の烙印を押された人物でしたが、安倍首相の自慢の祖父)のもとで成立した第2次の「安 保条約」を指しています。「旧安保」の目的は、米軍が日本国土のどこにでも自由に軍事基地を 設ける権利を保障していましたが、現行の「安保条約」では、「旧安保」の上に日本がアメリカ と共に集団的自衛権の行使に参加する道が新たに付け加えられ、軍事協定としては完成されたも のになりました。
 ただここで留意しなければならないのは、「集団的自衛権」の行使についても、「自国の憲法上 の規定及び手続に従うことが条件」になっていることです。 改めて言うまでもなく、日本国憲法の第9条では「戦争の永久放棄」という大原則のもと「戦力 の保持」も「交戦権」も認めないと規定しています。従ってわが国は、「集団的自衛権」の行使 も認められないので安保条約は初めから憲法違反で無効なものと言えるでしょう。 戦後のアメリカの世界戦略の中心は、圧倒的な軍事力によって世界制覇を目指すものですが,そのために日本の全土に米軍基地を構築することが不可欠かつ最善と判断しました。 アメリカの要求ではそれに止まるものではなく、さらに日本に再軍備を要求し、その日本の軍隊を米軍の補完部隊として利用することを計画しました。
 マッカーサー占領軍総司令官の指示(1950年7月8日付)で当時の吉田首相に対して7万5 千人の警察予備隊の創設を命じました。名前は、「警察予備隊」でしたがそれは、まさに軍隊の 卵でした。事実その後1952年に保安隊、1954年に自衛隊に変身するという経過をたどり 本格的な軍隊へと拡大した歴史を経て今日に至っています。
 そのような経過の必然的な結果として自衛隊は常にアメリカの厳重な監視と監督の下に置かれ、 自衛隊に対する指揮権は事実上アメリカに握られています。 ということは日本の再軍備された軍隊(自衛隊)は、アメリカの戦後戦略に加担・協力させられ るために設置させられたものであることの証拠でもあります。「自衛」ではなく「他衛のため」 「アメリカのため」、「アメリカの戦力を補完するために」アメリカの意向に沿って作られた軍 隊です。 言うまでもなく、日本の再軍備は、ポツダム宣言にも憲法第9条にも違反するものでしたが、ア メリカもそのことは充分に承知の上で押し付けたのです。その点に関しては、アメリカは1948 年の時点で、対日政策の中心課題として「ポツダム宣言と日本国憲法を無視する」という方針を決 定していました。このような不法・勝手極まる行為が許されないことは言うまでもありません。

(3)日本が独立を回復し国民が幸せになるには「安保条約」の廃棄が不可欠

先に述べたように、日本の軍隊(自衛隊)は、実質的にアメリカの指揮下に置かれており、いわ ば植民地的な従属軍隊です。このような現状では、日本は主権国家とは言えません。 国民の中には、「日本の安全はアメリカによって守られている」と信じている人がいますが、 1970年にマッギー在日米軍司令官が、1983年にはワインバーガー国務長官らが口を揃えて 「日本に駐留する米国軍隊には日本防衛の任務は与えられていない」と米上院で証言しています。 また福沢元陸上自衛隊幕僚長も「在日米軍基地は、日本の防衛のためにあるのではなく、米国中心の世界秩序の維持存続のためにある」と述べていました。
このことは、少し立ち入って考えてみれば、至極当たり前のことです。仮にも一国の安全確保とい う巨大な責任を他国が引き受けることなどは考えられないことです。事実、そのような協定も条 約も日米間には存在していません。 そもそも戦後70年以上も占領軍がほぼそのまま居座っていること自体、異常という他なく、主 権放棄以外の何ものでもありません。しかし、歴代自民党政府はもとより安倍政権もこの現状を 立て直して独立を回復する考えは毛頭なく、逆にひたすらアメリカに追随しながら「戦争のでき る国づくり」のために国民の生活や福祉は犠牲にされるという後ろ向きの政治を続けています。 しかも米軍基地に日本の領土を使っているアメリカは、本来は基地使用料を払うのが当然である にも拘わらず、その逆にわが国は「思いやり予算」を含め年間8千億円規模の「米軍駐留経費」 を払っています。
その一方でトランプ大統領の要求に応えて、次ぎ次にイージス・アショア、無人偵察機、迎撃ミサ イル、オスプレイなどの高額な攻撃兵器を買わされ、その合計は4800億円超にのぼり、今年度予算での軍事費は過去最高の5兆2千5百億円を超えています。
上記の8千億円にものぼる「米軍駐留経費」と軍事予算の合計は約6兆円ですが、それを半減と言わず、わずか数パーセントを削減するだけでも、福祉・社会保障・教育など国民の暮らしは画期的に充実・改善できるでしょう。
 不公正と矛盾の根源である対米従属から脱却するとともに日本が真の独立と主権を回復させるには、安保条約を解消することは不可欠の課題です。そのために国民の声と運動を一段と盛り上げ ることが求められています。
                  
              2018年3月1日  蓮井 治

2017年10月25日水曜日

        福島地裁いわき支部「福島原発避難者訴訟」を傍聴して(10月11日)
    
    ふるさとを返せ 人間の尊厳を取り戻す闘い
                   
                     大石 京子(元全損保三井住友支部)
                     内藤 正則



10月11日、福島地裁いわき支部で行われた「福島原発避難者訴訟第26回裁判結審」を傍聴する予定で、5人で福島へ向かいました。

 午前中は決起集会で原告代表挨拶では「ふるさと喪失」の概念は裁判史上初で認めさせていきたい」と発言がありました。又、「全国公害被害者総行動」からの挨拶では「水俣、大気汚染、アスベスト、薬害・・等の戦いをしているが、最大の公害は原発事故である。国策で引き起こされたのに小さく見せ切り捨てる。そして分断する。国民をだますその手口は変わらない。(私は水俣病でまだ闘っている人がいるんだということを知らなかったので驚きました)

 集会後は午後の結審に向けて裁判所までデモ行進しました。しかし一般傍聴券は傍聴希望者にたいし僅か15枚で競争率は10倍以上。(幸運にも私は抽選に当選。内藤氏に譲りました)。傍聴出来ない方々は、弁護団からの報告集会に参加し今までの説明を受けました。「訴訟初期には、原告全世帯の審問を工夫して行い、裁判官に何度も要求し3回に分けて現場検証が行われた事が流れを変えていった。
 前橋地裁、千葉地裁、そして昨日判決の出た福島地裁と判決が続いた。補償額については納得できないが、徐々に国と東電の責任を認め補償地域や額を僅かながら広げている。福島県知事や各政党にも申し入れを行い一歩一歩踏み出してきた。この闘いは人間の尊厳を取り戻し国策を変えさせる壮大な闘いでありであり、世論を味方に頑張っていこう」と語られました。若い弁護士さん達は裁判を有利にするため資料集めに奔走し、ベテランの弁護士さん達の奮闘などを聞いて感動しました。
 
 翌日、楢葉町・宝鏡寺早川住職を訪ねました。最初に「ここまで来てくれて話を聞いてくれるのは嬉しいが、何から話せば良いですか」と言われた。「避難解除になり戻ってきたのは車の運転できる年寄りだけ。そのうちにふるさとは喪失する。もう元には戻らない。今後の課題は溶け落ちた燃料を取り出せるのか?取り出せても何処に?先々どうするのか?とてつもない困難が残されている。国は最終処分場の説明会について福島県を除いた各地で行うのはアリバイ作り。人が戻ってこない、いずれ人が住まなくなる被災地が最終処分場になるしか解決しないことを政府・東電は判っているのだ。
 国と東電は儲けることだけを目的に危険な原発をやってきた。(原発設置基準は「近くに大都市が無い。原発所在地の人工は少ない」であり危険な事業だったのだ)
 儲からない最終処分場の管理を何万年もの管理が出来るのか?」・・と語る住職の話は重く、私は「こんな状態で福島の問題は終わったとして、再稼働なんて許せないと思いました。

 次に、希望の牧場へ行き、牧場主の吉沢氏の話を聞きました。希望の牧場は原発事故で放置された牛を預かり飼育しています。牛はパイナップルの皮を食べていました。牧場の至る所に汚染度の入ったフレコンパックが積み上げられていました。牧場には未だ300頭の牛がいる。山や林の除染は手つかずの状況。周りだけは除染?してもすぐまた汚染される。お金をかけて除染するのは国のアリバイ作りで無意味。避難解除になったが帰還した人は僅か1%。行政町役場は「町残し}に力を入れ予算をつぎ込んでいるが、そのうちふるさとは消滅する。牧場の敷地内に立っている送電鉄塔は電気を関東へ送っている。福島の犠牲の上に東京の豊かな暮らしは成り立っている。これからどうなるのか?どうしたら良いのか?世界中の英知を集めて原発の問題を解決しなければならないと思いました。


 車で走っていると除染作業で集めた黒のフレコンパックあちこちに積み上げられていました。それを白い壁を作って見えなくしているところもちらほら。草が生えているフレコンパックも。フレコンパックの無いところにはソーラーパネルが次々に作られていました。皆さん是非福島の被災地を見てください。

                     (大石 京子)

                                             




 私(内藤 正則)は4人の仲間と、10月11に結審(判決は来年3月22日)になる 「福島原発避難者訴訟」の福島地裁いわき支部での傍聴、翌日には楢葉・宝鏡寺の早川住職(いわき市住民訴訟原告団長)と浪江で放射能を浴び売れない牛を飼っている「希望の牧場」の吉沢氏に面談、現地の状況を伺った。

 裁判では、被災者が嗚咽をこらえ声を震わせながら7年になる避難生活の苦しさを陳述している姿に傍聴者はもらい泣きをした。
(原告・金井 直子さんの陳述の抜粋より~1年目は無我夢中で、本当に着の身着のまま逃げた1年目、そして2年目は不安と葛藤、3年目は先が見えなくて、4年目になったらもういい加減にして欲しい位に限界を超える、その心境の中でも生きて行かなければならなくて、5年目から今日に至っては絶望の中でもやっぱり生きて行かなければならないから何とか歯を食いしばっている)避難者でないと判らない苦しさが判り、同時にこの人たちを無視する現在の自公政権に怒りが増しました。
 
 翌日の楢葉、浪江の二人の話で共通していたのは「現地はいずれ無人になり使用済み燃料の捨て場所になる。現在は被災者支援の闘いだが、今後の大きな課題は、解体できない原発、解体出来ても燃え続ける燃料や、増え続ける使用済み核燃料と、満タンになっている汚染水の安全な管理をほぼ永久に行うことだ。原発はトイレの無いマンションです」
膨大な経費(税金)が今後もかかる。今は6~7000人が従事して必死に作業を続けている。(吉沢氏は、今、汚染水は海に垂れ流しの状況になっているでしょう。先日の台風では大量の汚染水が海に大量に流れたと言っていました)
                                   (内藤 正則)



   

2017年8月20日日曜日

新安保法制法の違憲判決を強く求めます
~損保人として、市民として、親として「陳述書」を提出
                  
                           栗原 伸夫

 集団的自衛権の行使等を容認する2015年9月19日強行採決の新安保法制法は違憲であり、その制定に係る内閣及び国会の行為も違憲である。平和的生存権、人格権及び憲法改正・決定権を侵害された原告らの精神的苦痛は甚大である。よって、原告らは、被告国に対して、国家賠償法1条1項に基づく国家賠償請求として、それぞれ金10万円の損害金の支払いを求める。
 私は「安保法制違憲訴訟埼玉の会」の原告438名のひとりとして、2016年6月20日のさいたま地裁提訴に参加しました。口頭弁論も第6回(9月27日)第7回(12月13日)と進み、私もこのたび裁判所宛ての陳述書を弁護団に提出いたしました。
安保法制違憲訴訟は現在、全国で20の裁判所で、原告6,296名、弁護団1,614名により審理が進められています。平和主義、基本的人権の尊重、国民主権を定める現憲法のもとで、三権分立の一翼を担う司法・裁判所が、内閣、国会の暴走を止める良識ある判断をされるよう強く求めるものでありす。

       【陳述書】
1 生い立ちと略歴
 私は、1939(昭和14)年5月10日に川越市で生まれました。地元の県立高校を卒業し、東京都内の大学の法学部に進学しました。1962(昭和37)年3月に大学を卒業し、損害保険会社に就職し、2002(平成13)年までの38年間、勤務しました。
損害保険会社での仕事は、主として、事故が発生した際の損害額の調査・確認と保険金の支払いを行う「損害調査部門」を担当してきました。若い時は転勤も多く、後半の20年ほどは川越市から通勤しました。
全日本損害保険労働組合にも加入し、専従も経験しました。
 定年退職後は、平和や損害保険の民主的な発展を願う任意団体の「世話人」や「損保9条の会」など  どの活動をしています。
なお、現在夫婦二人暮らしですが、長女、次女と小学校3年生の男子の孫がおります。

2 保険会社での働き甲斐、生きがい
 私は、38年間の会社生活の中で「補償機能の発揮、真の被害者救済を通して市民の安全と安心を守
っていく」という損害保険産業の持つ社会的な役割に誇りを持ち、社会貢献の喜びを生きがいとしてまいりました。
たとえば、2011年3月11日の東日本大震災における補償の仕事です。この災害では多くの犠牲者とともに家屋や家財にも甚大な損害が発生しました。地震保険の損害調査では保険会社の社員が現場に赴き、お客さまから直にお話を聞きながら保険金支払いの手続きを行いました。地震保険の保険金では生活再建の一助にしかなりませんが、社員は契約者からの感謝の言葉に涙し、わたしたち、ひとりひとりが損害保険の持つ社会的責任と役割を、あらためて実感したのです。
また、損害保険の大半を占める自動車保険では、車両修理費の早期支払い、第3者に損害を与えた場合には被害者との話し合いの進め方をいち早く契約者に伝えて安心を、被害者には損害の回復と傷害のある場合には、一日でも早い社会復帰のためのサポートを行うことが、損害調査を担当する社員の最大の責務ですが、私は前述のように、この仕事で会社生活の大半を送ってまいりました。そして、お客様からの「ありがとう」のひと言で、幸せを感じ、明日への意欲を醸成してきたのです。

3 損害保険の本質は「平和産業」
日本損害保険協会は、その行動規範で「市民の安全・安心な生活と安定した事業活動のお手伝が、損害保険の社会的な使命である」と定めています。損害保険は「大数の法則」に基づいて多くの契約者からの保険料により、万が一の過失や災害によって生じた損害を補償するもので、「一人は万人のたに、万人は一人のために」という相互扶助の精神こそが原点です。私たちの誇りや生きがいは、そうした保険の本質を具現化するなかで生まれるものです。
そして、保険の本質は、平和が大前提です。すべての損害保険の普通保険約款には「戦争、外国の武力行使、革命、政権奪取、内乱、武装反乱、その他これらに類似の事変または暴動」により生じた損害は免責(注・保険金支払いの対象とならない)と規定されています。つまり、「戦争状態」のもとでは保険金は支払われませんし、ましてや新らたに保険に加入する人もいないでしょうから「商売」そのものが成り立ちません。損害保険産業は、本来「平和産業」なのです。

4 「PKO保険」と社員の精神的な苦痛
新安保法制(戦争法)成立以前にも、すでに、その序曲は奏でられていました。
その一つに国策による「PKO」保険(国連平和維持活動傷害保険―自衛隊等の固有危険補償特約付海外旅行傷害保険)の発売があります。
2004年1月、イラク復興特別措置法に基づく自衛隊のイラク派遣の際、損害保険業界は防衛庁共済組合を契約者、自衛隊員を被保険者とする「PKO」保険を発売しました。通常では補償されい「紛争、武力行使、政権奪取、内乱、そのた類似の事変に伴う死亡・後遺症障害を補償する傷害保険」です。
一般人ではとても引受けのできない「戦闘地域」に適用、保険料も通常の3分の1と驚くほどの格安(死亡保険金1億円の場合、月額保険料15、610円)に設計されたものです。自衛隊員の死亡に対する弔慰金、国家公務員災害補償などの公的補償に加えて民間の保険も手厚くすることで後顧の憂いなく任務に従事できるよう、隊員及びその家族の「戦争リスクへの不安」を糊塗しようとする政府の思惑と追従する損害保険業界の姿勢が見て取れます。保険会社が国策に取り込まれている姿です。
新安全法制によってPKO部隊に、海外での殺し、殺されるという武力行使を容認した憲法違反の新任務「駆けつけ警護」と「共同防護」が付与されたことにより、隊員が人身傷害に遭遇する危険が格段に高まりました。同時にその業務に関わるわたしたち損保社員の苦悩と苦痛もまた、一層重く、大きくなりました。 たとえば、南スーダン派遣自衛隊員への「PKO」保険の募集は、営業社員が代理店(自衛隊の別働体)に同行するなどして、隊員、家族向け説明会の中で行いますが、戦闘 地域に派遣される第11次隊員に「万が一のための保険」などと言えるのか、不安な眼差しで見つめる家族に、さらなる心配を増幅することにならないか、営業社員の「苦悩・苦痛」の深さはとても耐えられものではありません。
また、「PKO」保険金の支払いを行う際には、防衛省や現地と連絡を取りながら事故の状況などを詳しく調査しますが、事故原因の理不尽さを知れば知るほど、損害調査を担当する社員にとっては悲しみをこらえながらの仕事となるのです。
保険会社は、いま、まさに「戦争できる国」の片棒を担ぐ機関となろうとしており、そこで働く社員の精神的苦痛は、一層耐え難いものになってきています。

5 アジア太平洋戦争における痛切な反省
私は、ここで、かつての大戦における保険会社の痛切な歴史的反省に触れておきたいと思います。所謂「戦争保険」です。
アジア・太平洋戦争時の昭和17年1月には、戦闘行為による建物の火災・損壊を担保する「戦争保険臨時措置法」に基づく任意保険の「空襲保険」が発売され、昭和19年4月には「戦時特殊損害保険法」により普通火災保険に強制付帯とされることになりました。
戦局が転換し始めた昭和18年3月には、「戦争死亡傷害保険法」に基づき、日本国内外での戦闘行為に伴う死亡・後遺症障害を担保する「戦争死亡傷害保険」を発売しました。それは「前線の戦闘が激烈を極め、国内また敵の攻撃下に置かれようとも、十分にこれに対処できる態勢を整備し、戦時下の国民生活に何らの不安もなく各々がその職域において、完全にその任務を遂行することが、この昿古の大戦争を勝ち抜くには極めて大切なこと」であり「総力戦の一環としての確乎不動の態勢を確立するため」(内閣情報局)の保険販売でした。収入保険料が3,946万円に対して支払い保険金は1億9,167万円、保険料を超える部分はすべて国(税金)からの支出でした。
これらの歴史は、保険と戦争は全く相容れないものであることを示しています。「戦争保険」や「PKO」保険は、損害保険の原則が、偶然性を前提に、万が一の過失や災害に起因する損害を補償するものに対して、必然性を持った戦争や武力行使に起因する損害を補償するものであること、保険料も「大数の法則」から大きく逸脱し極めて安く設定されていることから、保険理論上も全く合理性を欠いた商品設計となっていることなど自明の理です。そして、そのことを十分わかっていながら業務として遂行しなければならない保険会社の社員、わたしたちの心情は、耐えがたい苦痛に見舞われます。社員は戦争に協力しているという罪悪感やトラウマからも逃れられないのです。

6 すべての元凶は新安保法制(戦争法)
 このような事態につながる新安保法制(戦争法)に、私は戦慄とともに強い憤りを覚えます。私の精神的苦痛は極限に達しています。戦争保険やPKO保険は、「戦争死亡傷害保険法」やPKO協力 法などを根拠に、いずれも政府の強い関与のもとで発売されてきました。
したがって、わたしたちの精神的苦痛の元凶である、現在の「PKO」保険を廃止若しくは販売を中止するには、「海外での戦争や武力行使など憲法違反の事故に起因する損害を補償する保険の販売はできない」として、政府の要求を拒否することが求められます。それは国民の利益とも一致し、大多数の国民の共感も得られるはずですが、そのためにも、司法の場で、改正国際平和協力法をはじめとする新安保法制法は、その内容は憲法第9条に違反し、立法手続きにおいても適格性を欠くものであり、憲法違反である、となんとしても判示していただきたいのです。

7  平和的生存権、人格権、憲法制定権侵害に対する、私の決意
会社で働く社員の働き甲斐や生き甲斐、喜び、幸せ、誇りをズタズタにするばかりか、耐え難い苦悩や苦痛、戦争に協力をしているという罪悪感を引き起こす新安保法制は、憲法第13条の働く者の個人としての尊厳や幸福追求権を明らかに侵害するものでり、とても容認することはできません。
私は、退職後も損害保険産業の健全な発展を願う損保人のひとりとして、PKO保険ならびに新安保法制法の廃止のために、残りの人生をかける決意であります。
新安保法制は、市民や多くの憲法学者たちの反対の意思を無視し、閣議決定だけで従来の政府解釈を一変させ「集団的自衛権の行使容認」を強行採決するという、政府の歴史的暴挙によって成立したものです。内容、制定過程いずれも、私にとって耐えがたき憤りと無念、そして悲しみを覚えるものでした。いまもその気持ちは癒えるものではありません。
海外での武力行使を容認したことにより、「日本は戦争をする国」と海外から評価され「テロ」の危険も高まりました。2020年東京オリンピックの競技会場となる「霞ケ関カンツリー倶楽部」「さいたまスーパーアリーナ」、「埼玉スタジアム2002」、「陸上自衛隊朝霞訓練場」等の近くに住む住民としては気が気ではなく強烈な不安を感じています。
私はこれまでの70年間、「われらは、各世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と謳う前文をはじめ、憲法の平和主義、基本的人権の尊重、国民主権を誇りとして生きてきました。これらの誇りや生きがいを一瞬にして破壊した新安保法制をとても容認することはできません。私は、市民のひとりとして、また「平和」を子どもや孫に継承しなければならない親のひとりとして、新安保法制法の廃止のために、残りの人生をかける決意であります。

2017年8月15日
     栗原 伸夫


2017年6月19日月曜日


    「共謀罪」の強行可決に抗議する 

                           蓮井 治
 
 この法案に対しては国民の間でも曽てない規模での反対や危惧の声が広がり、日弁連を始め全国52の弁護士会やペンクラブなどの民主団体・人権団体がこぞって警鐘を鳴らしたことは重く受け止めるべきです。しかし期待は裏切られ、あのような無法と暴挙・強硬手段で成立させてしまったことに先ずは強く抗議したいと思います。そしてアベ政権のもとでは、もはや民主主義は無くなり、多数の横暴だけがまかり通る政治になったと痛感しています。
 法案の内容についての詳細には触れませんが、その中の最大の問題点は、「何をしたら罪に問われるのか」がはっきりしていないことです。その点での判断は、すべて捜査機関に任されることになり、捜査対象が自由勝手に拡大されてしまう危険が大きいことです。環境保護団体や人権保護団体はもとより、私たちの「革新懇」や「9条の会」などの活動も捜査・処罰の対象にされかねません。ということは、「政府にとって都合の悪い」存在は全て対象にされるということであり、国民の日常生活のすべてが警察や自衛隊の「情報保全隊」(昔の「憲兵」と同じ軍隊の中の警察)などの捜査機関によって監視されることになります。
 国連の人権問題特別報告者、ケナタッチ教授が指摘した懸念の中心もこの点でした。アベ首相は、このケナタッチ報告で示された問題点に何ら答えないばかりか、「強く抗議」する声明を出しました。国際儀礼・ルールの片鱗もない対応で世界に恥をさらしました。
 私は戦中派の一人として1931年から始まった15年間のあの日本の大侵略戦争の頃を思い返えしています。戦争遂行の要として「治安維持法」(1925年制定)が猛威を振るい、戦争に反対する人、良心的な愛国者を片っ端から検束して裁判にも掛けずに忙殺しました。小林多喜二や三木清らがその犠牲となりました。この思想弾圧のために送検者は約7万6000人、逮捕者は数十万人に登り、国民の声を圧殺して侵略戦争への道を開いたのです。「共謀罪」は、まさに「治安維持法」の現代版です。
 政府は、この法案の説明の中で「ウソ」と「ゴマカシ」を積み重ねました。「一般人には関係ない」、「テロ防止のために不可欠」、「この法案がなければオリンピックが開けない」、「国際条約批准のために必要」などなど。アベ首相も金田法相も答弁不能の陥った事実がそれを証明しています。
 ちなみに、「テロ防止」というのであれば、そのための国際条約は13本ありますが、日本はこれら全ての条約締結を完了し、これに基づく国内法も整備されています。「共謀罪」など全く必要はないのです。それを隠し誤魔化すために、国会で過去3回も廃案となった「共謀罪法」を「テロ防止準備法」と看板を掛け替えをしました。「テロ防止」とうたえば国民が納得するという「浅智慧」が見え見えです。
 振り返ってみると、アベ政権のもとで2013年に「秘密保護法」、2015年に「戦争法」(安保法制)、2016年に「刑事訴訟法改定」(警察が簡単に盗聴ができる)、それに併せて今回の「共謀罪」は、正に「戦争をする国」づくりの一環であり、その最終仕上げには「憲法改悪」が待ち構えています。
 この法案の特徴として指摘したいのは、これが「アベ・ファシズム政権」の本質と「日米軍事同盟最優先」(国民の幸せや福祉は後回し)の政治姿勢がはっきりと国民の前に示されていることです。ですから平和と国民の幸せ、そして民主主義への復帰と尊重を願うなら、一刻も早く「アベ内閣」を退陣させることが緊急不可欠の課題であることを強調したいと思います。
 今、「森友・加計事件」の内容が明らかにされ、安倍総理による国政の私物化に対して国民の怒りが沸き起こり、政権は崩壊・転落の崖縁に立たされています。もう一押しの世論を高めることによって政権の完全追放を勝ち取りたいものです。

                      2017年6月15日 蓮井 治